2002-07-19 第154回国会 参議院 金融問題及び経済活性化に関する特別委員会 第4号
昔、頼母子というのがあったり、様々な形で講というのが存在いたしましたよね。頼母子、それはお金を貸し借りする地域グループであったり、あるいは労働をお互いに分かち合うと。これは多分、江戸時代からずっと続いていて、特に大阪、塩川大臣のお地元などでは非常に盛んだったんではないかと思います。
昔、頼母子というのがあったり、様々な形で講というのが存在いたしましたよね。頼母子、それはお金を貸し借りする地域グループであったり、あるいは労働をお互いに分かち合うと。これは多分、江戸時代からずっと続いていて、特に大阪、塩川大臣のお地元などでは非常に盛んだったんではないかと思います。
自分でいろいろ金を出す、そのときに、会社におられるとかいろいろなところで費用が出されるということまで――それは各人が保険をつくるとか互助会をつくるとか頼母子をつくるとかいろいろあるでしょう。そういったことでやるものまでもいかぬという話じゃないわけでございまして、いわゆる公的な制度としての健康保険制度では、やはりそこは一律にしておいたらどうかというのが私の方の考え方でございます。
○浦井委員 簡単に答えられたわけですが、互助会とか共済会、頼母子、これはやって構わないのだという、いかにもそれで済みだというようなお話でありますが、そうなると、これは社会保険の事業とは別になりますから、そうなればやはりその費用はどこかから拠出をしなければならぬ。そうなれば、被保険者の側が負担をするということになれば、第二保険料みたいなかっこうになって負担増になるわけであります。
アメリカはそれをプラスチックマネーと呼んでいるそうでありますが、そういうところまで日本が行くかどうかは別にして、どうも時代の流れというものは想像もつかない方向に行くんだな、そうすると、私たち日本において、そういう問題は昔からある頼母子等からだんだんいろいろな形態のものが生まれてきて、ネズミ講事件とかいろいろなものが起こりましたですね。
それで頼母子あるいは民間金利にしても、何か三%ですか、年間にしますと三割六分ですか、こういうようなからくりをもって、三カ年すると倍になるのですが、こういうことででもその場をということであるが、しかし、一般の銀行以外のほうでもそういうような金繰りもできないというようなことで、ずいぶん困っておるというようなことなんです。
本土の頼母子みたいなやり方をすることは、これは同じでありますけれども、その規模とか、あるいは生活費、家屋建築費あるいは学資、そういうところまではいいんですが、事業資金等もそれらから調達している分野が、沖繩においては、ことに中小零細企業等には多いようであります。
○山中国務大臣 沖繩の模合は、本土の頼母子と同じ仕組みでありますが、特殊なものとして見なければならない特徴を持っております。
しかし、今日近代的経営が進歩している中で、御承知のように相互銀行というのは、かつて頼母子から無尽会社になり、相互銀行になったわけです。
しかし、これはなるほど日本の頼母子というような制度から発展をしてきた特殊的なものですが、すでに頼母子というものは、これは不特定多数じゃないのですね。これは特定者が処置をしている問題です。
ところが、この相互銀行は、頼母子、無尽から始まって、相互銀行という、普通銀行に対応する銀行ができたわけでございますが、この相互銀行の預金は掛け金を対象とする例の頼母子掛けの変形したものと、普通預金、積み立て預金というものでできておるわけですけれども、大衆から扱い上げた庶民の金を大企業に大量に融資しているという現実があるかないか。
これが御承知のように、いま小規模企業共済法、これは自前で、昔でいう頼母子のようなもので、別に政府はたいした出資はしておりませんでした。これでめんどう見たとは言えない。製造禁止になったり、あるいはまた販売禁止になったりした業者に対する政府の援助措置とか指導とかいうものは、どういうふうに一体行なわれたか。私はかなりの数があったと思いますが、そこら辺をひとつお尋ねしておきたいのです。
それから有利性においても、頼母子を始めなければならないような人、つまり生活苦にあえいでどうにもこうにもならない人に対する救済策としては、頼母子講のほうがよほどいいのです。頼母子講議論はまあ別にして、その程度でおきますが、それとあまり大差ないじゃないか。せっかく政府が取り上げたけれども内容が伴わないというのはなぜかといえば、本気でやる気がないじゃないか、こういうことを私は指摘をしたいのです。
頼母子のようなもので船だけは支度をしたというその船がとられた場合には、ほとんど生活ができないような状態で、いろいろなことをして全くその日をしのいでおる方もたくさん見受けられるわけです。そういう事情から先ほど言いましたように、迎えにおいでになる場合に会社かどこかがいろいろ手当をしなければならぬ。
おそらく最もひどい生活をしておる国民の一グループと考えるのでございますが、この小型漁船の融資は、従来各地方では頼母子をかけて作ったり、あるいは高利の金を借りて作ったり、こういうようなことで漁船を作りかえておったような実情でございますが、これが公庫から融資ができるということになりますると、この多数の零細漁民というものが非常に助かることになるのでございますが、きてこの零細漁民一人々々を金融機関が相手にするということはできません
第一に、相互銀行以外の者が頼母子論拠約の講元となり、掛金の受け入れをすることによって経済的な利益を得ようとする意思を有することが必要であります。
もうそのその日の生活ができぬから、頼母子もうんと高い利子を払つてとつて、その日その日を送る、質に入れるものもなくなつておるという状況にまで追い詰められておるのであります一そこでわれわれも、この前からも政府に話しておりますけれども、そういつても外交交渉というものはそう簡単には行かない、少くともかわりの船を安い利子で借りる程度しかできない。
刑務所から出て来てから、どうも腰が立たないから一週間ばかり寝ておりましたが、きのうおとといの新聞を見たところが、政府はどないしてくれるのか、船をつくるのか、大きな銀行で借りられるならいいが、大蔵省も金がかかりましようが、私たちは日掛・月掛・頼母子をとつてやつたのであります。
そして乗組員も家族も食わしてやらぬから頼母子をとろうとします。乗組員も食われぬからとろうとする。乗組員が食われぬ、船主が食われぬで私たちは取合うのです。それでせり合つて、私はこの月一ぱいで頼母子は何ぼに札を書いても落ちないと思います。だから船主も乗組員もその家族たちも困る。乗組員は三十から二十七、八、結婚して二、三年、古いものでも五、六年しかたつていない。乳飲子を抱いておる女房はよう働かぬ。
古い例を顧みてみますと、無尽業法ができます前に、頼母子会社、無尽会社、信託会社が——信託業法ができない前ですが、そのときにそういうものが族生いたしまして、時の検察当局が、別の立法をするでなければ、こはをつぶすということであつたわけですが、これは無尽業法をこしらえましてようやく免れたのであります。
むしろ炭鉱労働者の諸君などは、頼母子講とか何とかによりまして、賃金を天引されてしまうという窮迫した事情になつておりまして、この利子をいくら上げようが上げまいが問題にならない。